寒い1日でした。セーターやざっくりニットを身につけたくなりそうな、、、。
絡まってしまった毛糸をほどくのと、自分以外の誰かと理解し合う過程って何かにているなあ、、、と、ふと思いました。順序よく絡まった順に糸をくぐらせて、堅くなったところをほぐして「なんで絡まっちゃったんだよ~?」って何度も心の中でつぶやきながら(笑)
誰かと理解し合う時、、、もちろん、お互いを知らない時の「理解」もあるし、何かをきっかけに感情的にもつれてしまった時の「理解」もある。相手の意図(糸?)をたぐりながら、お互いがくぐったりくぐらせたりしながら少しずつ安心できるお互いの心の「居心地」を探っていく、、、。
気短になったり自分本位になったりして、無為やり引っ張っちゃったり「これ、もう無理だよ」って努力もせずにハサミで「ブッツン!!」ってしちゃったり、、、
最近気づいた。
毛糸達のもつれをほどくために、力ずくで引っ張ることしかしない人って意外にいるんだなあ~って。
これにはどこから見ても悲しい結果しか残らない。(もちろん「見切る」判断を求められることもあるけれど)
毛糸は長くなくちゃ、マフラーもセーターも編めないんだよ?
人の心も長く広く受けとめたいと思うから、一緒に何かを考えられるし一緒に頑張れるんだよね?
だから人は時に「好きだよ」って言える気がする。
願わくは、どんな人とも「くぐり、くぐらせ合える」自分でありたい、と、、、思います、ひたすらに。